精進湖の歴史

明治28年(1895)、日本に帰化した英国人ハリー・スチュワート・ホイットウォーズ(星野芳春)が富士山を最も美しく眺められる地を求めて、1年がかりで富士山麓を巡り、ようやくたどり着いたのかが精進湖でした。

この風景に魅せられたホイットウォーズはここを永住の地と決め、「精進湖ホテル」を建設。同ホテルは国内における富裕層・外国人が宿泊するクラシックホテルの一つとして認知されていきました。その後、ホイットウォーズによる海外への情報発信の結果、明治末から大正、昭和にかけて精進湖は日本有数の避暑地「ジャパン・ショージ」として、多くの外国人観光客が訪れるようになりました。

中でも特に有名であったのが富士山眺望のスポットとして活用されたパノラマ台と呼ばれる頂でした。皇太子時代に英国を訪問した昭和天皇が英国人から精進湖について問われた、というエピソードがあるほどです。

当時の観光は馬、もしくは2~4人でかつぐ「チェア」と呼ばれる籠でパノラマ台を目指しました。 片道1時間ほどの行程の先にあるのは、富士山の絶景。この地が「東洋のスイス」とまで呼ばれるようになった所以でもあります。